タリヘーレ三重奏団演奏会~ テオドール・デュボワ没後100年記念演奏会 ~





フランスの作曲家・テオドール・デュボワ(1837年生、1924年没)は、フランス音楽がロマン派から近代音楽へと変貌する狭間でフランスで活躍した作曲家です。ローマ賞大賞を受賞し、パリ音楽院の院長を務めるなど、生前はヨーロッパ全土やアメリカなどにも名前を知られた作曲家でした。しかし、その作風は保守的で、19世紀の終わりころから隆盛し始めた近代音楽の流れに乗ることは出来ませんでした。いや、むしろ、近代音楽の動向を絶えず批判する立場をとっていました。そもそもパリ音楽院は保守的な音楽を推奨するとして近代派からは批判の対象でしたが、その当時院長であったデュボワは、そうした保守的なパリ音楽院の象徴としえ批判されることになるのです。

1905年、当時フランスで既に名を挙げていたラヴェルが、ローマ賞に応募したのですが、予選で落選してしまいました。多くの批評家が、それに疑義を提出し、審査にあたった人々を批判しだしました。ラヴェルの新しい音楽が理解できないパリ音楽院の在り方も批判され、審査員の一人であった院長デュボワは、その騒動の中で院長を解任され、後任にラヴェルの師匠であったフォーレを迎えて、パリ音楽院の改革が始まった・・・これが後世「ラヴェル事件」と呼ばれるものなのですが、実は、この歴史記述は間違ったものでした。デュボワは確かに1905年にパリ音楽院院長を辞任していますが、ラヴェル事件が勃発するよりももっと前に、作曲の自由な時間を求めて院長を辞することを宣言しており、ラヴェル事件とデュボワの院長辞任は関係のないものだったのです。しかし、この間違った「ラヴェル事件史」が後世に語り継がれることで、保守的で悪者のデュボワと先進的で改革者のフォーレという対比が生み出され、近代音楽の進展とともにデュボワの名前もその音楽も忘れ去られてしまいました。

しかし近年、この時代の音楽を再吟味することで、デュボワの音楽が再評価されるようになりました。フランス本国でも忘れ去られていた作曲家テオドール・デュボワは復権を遂げたのです(吉岡政徳『忘れられた作曲家テオドール・デュボワ―人類学から見たフランス近代音楽史』(2024 鳥影社)。



今年はデュボワが亡くなってから100年目に当たります。しかしフォーレも同じ年に亡くなったため、「フォーレ没後100年記念」というのはあってもデュボワの没後100年を記念する演奏会はあまりありません。そこでタリヘーレ三重奏団として、デュボワのピアノ三重奏曲を演奏会で取り上げようと考え、「没後100年記念演奏会」と銘打って演奏会を企画した次第です。会場となった五反田文化センター音楽ホールは、品川区立の施設なのですが、とてもすばらしい音楽ホールで、遅い申し込みでしたが、たまたまキャンセルがあったようで9月の日曜日の午後を押さえることができました。






演奏会当日は雨模様だったのですが、80名ほどの方々にお越しいただきました。ありがとうございました。プログラム通り、ピアノ三重奏のための「プロムナード・サンティマンタール」、そしてピアノ三重奏曲第1番、第2番を演奏しました。デュボワは、早くから室内楽に目を向けた作曲家でもあり、ピアノ三重奏曲の他にも、美しいピアノ四重奏曲やオーボエを入れたピアノ五重奏曲があります。こちらの曲は、年が変わってしまいますが、2025年の3月に神戸で「テオドール・デュボワ没後100年記念演奏会 第二弾」として演奏会を行うことが決まっています。これでようやくデュボワ関連の我々の行事が終わります。