タリヘーレ四重奏団演奏会 <ウィーンからプラハへ>



                                        


三木山森林公園音楽ホール

前回の演奏会<パリからの風>を、兵庫県立芸術文化センターの小ホールで開催できたので、今回もそのホールを確保すべく、抽選会に臨みましたが、はずれてしまいました。そこで別会場を探したのですが、響きが比較的良いホールとして最近注目されてきている三木山森林公園音楽ホールをとることができました。このホールは、舞台の奥がガラス張りになっており、芝生や木々が見えるようにできています。響きは比較的良いのですが、問題が二つ。一つは、場所が都心から離れているということ。三木市にあり、神戸電鉄の恵比寿駅からさらにバスに乗る必要があります。聴きに来てくださる方々には不便なところなので、皆さんにどれだけ来ていただけるかが大いに心配でした。もう一つは、夏はいいのですが、冬は、舞台奥の全面ガラスから太陽の光が入ってくるので逆光になるということです。曇っていれば問題なのですが、晴れると、日照りが気になるわけです。

演奏会

曲目は、シューマンの「ピアノ四重奏曲」、ブラームスの「ピアノ三重奏曲第2番」、そしてドヴォルザークの「ピアノ五重奏曲第2番」です。当初は、モーツァルトの「ピアノ四重奏曲」を考えていたので、<ウィーンからプラハへ>というタイトルで進めていました。しかし、ブラームスがドヴォルザークを高く評価してヨーロッパ中にその名前を知らしめた、ということを知り、それなら、ブラームスを世界に知らしめたシューマンをとりあげると、三つの曲が互いに関連すると思いつきました。その結果、演奏時間が30分程度の大曲が3曲、しかも、どれも演奏会のメインになるような有名な曲になってしまいました。

ライプチッヒ、ウィーン、プラハ

シューマンはザクセン王国に生まれ、ドイツ連邦各地を転々としましたが、ウィーンには居住していませんでした。しかし彼の音楽はウィーンでも知られていましたし、ドイツロマン派の音楽ということではウィーンに象徴されるドイツ音楽の中にいたということが言えるだろうと思います。ブラームスはハンブルク生まれですが後にウィーンに移住し、ドヴォルザークはプラハで活躍しましたが、ウィーンもプラハもオーストリア帝国(のちのオーストリア・ハンガリー帝国)に属していました。しかも、シューマンが長くいたライプチッヒ、さらにはドレスデンと、プラハ、ウィーンは国際鉄道で結ばれており、今日ほどではありませんが、モーツァルトの時代に比べるとはるかに移動が簡単でした。なので相互の交流は結構行われていたようです。ということで、モーツァルトからシューマンに変更しましたが、<ウィーンからプラハへ>というタイトルを変更はしませんでした。

会場

客席は、パイプ椅子で280席。多すぎると考えて、210席くらいに減らしました。当日配布するパンフレットも100しか準備しませんでした。ところが蓋を開けてびっくり。開演時間になると客席はほぼ満席になっていました。こんなに大勢の方に来ていただけるとは思ってもいなかったので、嬉しい誤算でした。来ていただいた方々、本当にありがとうございました。小さなお子さんもいるのに、話声すらせず、非常に静かに、そして熱く聴いていただきました。晴天だったので、予想どおり日の光が差し込んできて、舞台や客席を照らしだしました。シューマンの演奏が終わった段階で、半分だけカーテンを閉めたのですが、最後のドヴォルザークの時には全部カーテンを閉めることになりました。最後の曲、ドヴォルザークが終わり、暖かい拍手をたくさんいただきました。いつもは、最後の曲がおわって拍手をいただいたらすぐに、「短い曲をもう1曲用意していますので」という挨拶をして、「アンコール曲」を演奏してきたのですが、今回は、大曲3曲は聴く方が疲れるだろうと思って、アンコール曲を準備していませんでした。予想外に大きな拍手をいただいたので、再度舞台に戻って、挨拶だけをして演奏会を終えました。

    
        ブラームス ピアノ三重奏曲第2番                ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲第2番